今日の英語

英語表現法というクラスでグループディスカッションをさせられる。というか、これから毎回そういうことらしい。今回のお題は「7人の心臓移植待ち患者がいます。ちょうど移植可能な心臓が1つ用意できました。誰に移植するのがいいですか?」でした。
①57歳。ノーベル賞作家。植民地主義に反対する啓蒙化でもある。旦那と4人の子持ち。子供は30〜37。
②12歳。少年。生まれた頃から心臓病。手術に耐えうる体力があるか医師は不安。このままでも死を待つのみ。
③27歳。④と双子。生物化学の博士号間近。将来を嘱望されている。伴侶無し。腎臓にも障害あり。
④27歳。③と双子。コンピューターサイエンスを修めた後、旦那とソフトウェア会社を立ち上げる。4歳の娘あり。
⑤34歳。CIAのロシア専門調査官。その方面での存在感が強い。かなり幼い子供が3人。妻は事故で既に死亡。
⑥23歳。無職。しかも生活補助により暮らす。4人子供が居るが、旦那は知れず。
⑦42歳。細菌学の世界的権威。過去に一度心臓移植を受けたが、拒否反応が出て失敗。現在人口心臓にて生きる。
まぁなんというか、グループの人間と全く優先順位がかぶらなかったのには困りました。しかも3対1で。まるで俺が悪いみたいじゃないか。多分優先順位のつけかたが違うだけなんですけどね。なんてゆーか「近々社会に大きな貢献をしそう」という基準で選んでいったら、他の人は「幼い子供がいるか」と「平均寿命まであと何年残ってるか」を基準にしてたみたいです。うーん、そりゃ噛み合わねぇよ。てゆーか、12歳の少年があと70年生きる可能性があるからって優先順位高いのは納得がいきません。だってそんなの、こいつが人の道を踏み外して殺人鬼になる可能性とトレードオフでしょ。現状である判断材料のみに基づいて、少しでも長く生きておいてもらうことで多くの人間を救えそうに優先順位つけるのは冷酷ですかね。そうは言っても一寸先は闇ですから、移植した人が退院して家に帰る途中に交通事故で死んじゃうなんて可能性も捨てきれないわけですが。そういうこと言いはじめるとキリが無い。
ちなみに先生は⑥を一番に据えていました。うちの班では優先順位的には最後でした。生活能力が無い上に無責任な母親の下で暮らすのと、施設に引き取られるなり養子に出されるののどちらが幸せなのかが判断できませんでした。せんせーは「社会的貢献と個人の幸せを比べたら個人の方が優越する」って断言してたんですが英国ってジェントリとかノーブレス・オブリージの国じゃなかったんですか。