昨日(22日)

先日から半徹夜。延々とディベートの立論を作る。意識が吹っ飛んだ後、6時ごろ起きる。ディベートの話し合いが12時からだと思ってたのに10時からだと知る(その時、8時)。教習をあきらめる。立論を完成させ10時から話し合い開始。
何の話し合いかと言うと今回の論題でどういった立論(議論)を作れるか、というのを検討するために実際みんなで作ってみたものを顔合わせさせました。6つ振られていたのですが、うち2つは資料が見つからないという不可能性があったので放逐。税収増に関していくつかの仮定と前提をベースに詳細な計算を行い出てきた驚愕の数字。ぁーぅー。3時間かけて探した基礎資料から導き出されたのは1億円未満。目の前真っ暗。ディベートに馴染みの無い方が多数だと思われますが、どれくらい大したことの無い金額かというと、日本国民が1人1円ずつ出せば賄える額です。話が国単位なのでどうしても数億円くらいだとインパクトが薄い。もちろんその時点で議論が現実から乖離されていると指摘されればそれまでなんですが…。まぁそういうわけで堕ちるところまで堕ちたテンションのまま、次の議論を10分で作り上げて計算すると24億円という数字が出てこれはこれで鬱。はぁ。まぁディベートの初期の議論作りなんてカンブリア紀ですから。10個作って1つ力強いものが残れば万々歳。だいたい陽の目も見ずに絶滅していきます。そんな感じで落胆しつつ話し合いに臨み、夕方になったところでバイトがあるから離脱。

蛇足ですが

ここら辺のこと、科学から技術、技術から商業技術、商業技術から製品、製品から商品へとつながる流れに類似しているかも。基礎科学が技術になるにはデスバレーを越えなければならないし、それが商業化へつながるにはもう1つ谷を越え、いざ製品として完成したところでカンブリア紀状態(有象無象がわらわら)の製品の海の中から消費者に認知され、衝動を起こさせ、購入させ、評価されないといけません。アイディアが形になるのはどういった世界でも似たような困難を伴うんでしょう。