ひとりごとですよ

集団の運営といふものについて。
最近またなんかややこしく考えなきゃいけない場に引きずり出されてるので。
タイトルにもあるけど、独り言ですよ。

うちの大学の偉い先生たちの中に
「頭の中でコビトを動かすんだよ!」
ってーので、社会現象(主にビジネスシーンにおいてだけど)を説明する人たちがいて。
まぁそれ自体は確かにもっともなことで。
他人の視点に立って、なんてセンチメンタルで不毛で物事を大抵の場合進めることにならない観点を避けつつ、不特定多数の立場立場に応じてのメリット・デメリットを勘案しつつ、且つ心理的な葛藤が意思決定に及ぼしうる影響を考える上では極めて有効な例えだと思う。

小さな集団についても似たようなもので。
不特定多数の小人を脳内で並列処理するほどの高スペックは必要ない。
小さな集団だから10〜20くらいの利害関係者の過去の動きをトレースしつつ現在から未来への動きを想定する。人口知能によってキャラクターが自律的に動かされるゲームをしたことがある人間なら、それを頭の中で現実の変化する状況を勘案しつつやる、って言えばわかりやすいのかな。ファミコンスーファミにできたことを脳内処理すると考えればなんとか出来そうな感じもする。いくらファミコンとかがゲームに特化した処理をするとはいえ、脳なら8〜32bit機程度の処理は出来るって。
まぁ本当に利害だけの基準で動くなら二択だけど、そこに逆選択だとか天邪鬼だとかが色々絡むから複雑になるんだけど。でもそれを想定するために過去の動きをトレースしたり、相手の選択肢を狭めるための一手を打つわけで。
んで小さな集団といっても経験的にザックリ2つに分けると
・個々は大した動機を持ってないけど誰かが引っ張れば動く集団
・個々がやたらと強い動機を持っていて自律した動きをとろうとする集団
に分かれて。ああ、組織じゃないですよ。集団ね。
実際現実にある集団はその間をとったものが当然多いんですけど。
少人数の集団なら本来は後者寄りでないと存続が危ないわけで。
でもなく存続してるとなると、一部の自律者の頑張りによって一部の無気力者が引っ張られてるのかな。まぁ自律者にとってはエライ迷惑。そういうのが趣味って人もいるけど。そういう自律者がふと我に返ると集団が瓦解したりするのね(拘束とか利害に直結しない集団になればなるほど、こういうのを排除するのって難しい気がする。)。
でまぁmobとして動くなら別にいいんだけど、何かの方向性を定めて動こうってときにはやっぱり神輿は欲しいわけで、そのうち誰かがリーダー役として担ぎ出される。
じゃあリーダー役に求められてるのは何かってゆーと、まぁそりゃケースバイケースなんだけど、基本的には個々が別個で意思決定を行うための方針作りなんだろうなぁと。目標設定ってのもそうだし。いわゆる「見えざる手」の支配を「見える手」によって代替しようとするわけで。リーダー役って誰もが大なり小なりアダム=スミスに挑戦状を叩きつけてるんだと思う。一方で「見える手」の持ち主にそういう機能を委譲するなら動かされる方もそれなりに覚悟を決めないといけない。
ここらのリーダー役の覚悟とか決定に従う側の覚悟とかがロクに出来てないと破綻することが多いように思います。まぁあたりまえといえばあたりまえで。「優しさ」とか「他人への配慮」を言い訳にして、集めた情報をベースに意思決定ができないリーダーなんざ要らん。一方で、委譲した責任と権限を意思決定が行われた後に集団の大多数を説得しうる理由もなしに決定を覆し始める馬鹿も要らない。
要らない要らないってゆーたって、人が集まるときは集まっちゃうわけで、先にも述べたように拘束とか義務が少ない集団に限って集まった人員を整理する方法が無くて、結局しっかりしないといけないのはリーダー役。協調路線をとるのか、専横を目指すのか。どちらをやるにしたって、常に動き回ってるチェスの駒のような関係者が次にどう動くからじゃあ自分はどう動こうかなんてことを延々と悩むことに。その仕事が8割じゃないかなぁ、なんて思ったりする。そういう意味でリーダーってやっぱり孤独。相談はできるけど、悩んで決めるのは自分でするって割り切らないと逆に何も出来なくなるし。