ふと

最近またニュースで扱われることが多くなった話なので。
http://minmin.kill.jp/flash/
「戦争美化はヤメロ」って人と「本当の姿をミセロ」って人とで、まだまだ日本国内の戦時観は統一されなさそうですよね。前者は一部の国と一部の人のactual voiceを持ってくるし、後者も一部の国と一部の人のactual voiceを持ってくるわけで、そりゃ収拾がつくわけがない。もちょっとピシっと国を挙げて見解を作れば迷うことなくいいと思うんですが、自由だ自由だって空気に慣らされた人々はそれを「国による思想統制だと」言い張る。うーん。「国の正式な見解」をまとめた分厚い「歴史」を1つ作るだけでも随分と違うと思うんですが、どうもお上がナニを考えているかハッキリしない。ハッキリさせないのが1つの戦略だというのも理解できますが、もういいんでない?
だいたい現場が困るんですよ。「日本は50年前悪いことしたの?」ってつぶらな瞳をうるませながら震え声で聞かれた場合(生徒の様子は脚色されてます)、戦争なんだからそりゃ無関係な人の1人や2人は巻き込まれてるだろうし(南京は嘘ですけど)、逆に地場産業を根付かせるといった善行も歴史的な事実として行っているし。でも教科書を見ると「いいことをした」って書いてある教科書と「悪いことをした」って書いてある教科書のどっちかしかない。載ってないことを教えてあまりに早い段階から教科書に不信感をもってもらっても困るし、事実が知りたいなら自分で調べろと突き放すわけにもいかない。こうして現場で歴史を教える人間は頭を抱えることとなるわけです。他国の歴史についてなら適当にやっちゃうんですけどね。
ただ、私的には八紘一宇とか大東亜共栄圏とか、理想主義の下にワリと大真面目に当時の人は実現を考えてたんではないだろうかと思います。論理的な根拠は勉強不足なので出せませんが、なんとなく。50年前の自国民に対する信頼。もちろん、こういう言葉一つとっても「大東亜共栄圏」「八紘一宇」とは?って解釈する人もいればhttp://www.echigo.ne.jp/~oyam-int/kaigisitu-kako-6.htmlこう解釈する人もいるわけで。占領地政策を見ても欧米型の植民地化とは違ったってのは明らかだと思うんだけどナァ。
とはいえ、確かに一方からは「白人から解放した」であっても他方から見れば「侵略された」という解釈になるのはしょうがない。国同士の怨恨というよりは個々人の直接体験がベースにあるから厄介なんですよね。この辺、どうして負のスパイラルにしかならないことがわかっているのに未だにパレスチナでゴタゴタしているのかってこととノリは同じです。
こういったことを全部ひっくるめて、とりあえずただ1つ譲れないのは「死んでいった者への敬い」。理想をもってそれを実現しようとしたとか、ガクガクブルブルしつつも命令だからとりあえず突っ込んだとか、一方的な裁判の結果クビくくったとか・・・どんな死に方、どう思いながら死んだ、そういうのは人それぞれだろうけど、正直、あんだけのギリギリの状態でよく頑張ったと思う。国としての姿勢じゃなくて、個人に対しては頭を垂れるばかり。
ゼミの様子とかスープ作りについてはまた後で。今はここまで。