電車の事故

今更感がありますが、ワイドショーをしばらく眺めてて感じたこと。原因はまだ究明中みたいなのでそこら辺は放置。じゃあなにかというと、死臭に群がってるハイエナがとにかく鼻についてしょうがない。
交通アナリストだとか交通コメンテーターだとか交通評論家だとか危機アナリストだとか、毎度毎度、事後になって我がもの顔で御託をならべるこの手の連中は…。なんの役にも立たない後出し上等な薀蓄はどうでもいい。「前々から〜だったんですよ」とか言うからには、手前ら事故を防ぐような有効な提言、運動を行い、研究・実験結果をしかるべき機関に提出してるんだなと問い詰めたい。それすらせずにグダグダ言ってるだけのハイエナは目障り。
マスコミもマスコミ。前出のハイエナがauthorityとして十分だなんて考えてるわけであるまいし。見かけだけの説得力をもたせることなんて誰も望んでないんだから、シンプルに事実だけ流してください。タレントもどきのコメンテーターの偽善コメントとか要らないから。
今回「ダイヤ至上主義が〜」ってJR西日本の責任ばかりがつつかれてるけどスピードを上げるのも定刻にこだわるのもマーケットの需要があるからだって、言ってる人はわかってんかな。無茶なダイヤになるにはそれなりな要因があるでしょうに。別に企業の肩をもつわけじゃないけど、他社との競合状態があり且つ社会的ニーズがあるからには全体的な経営判断としてスピードを売りにするってのは間違いじゃない。「ちょっと値段は高めだけど、スピーディな通勤通学を」。おそらくトップの意識ではこんな感じだったんだろう。というか、同じ立場に立ち、脱線する要素がほとんどない区間を見たときに違う意思決定ができるもんだろうか?
経営のレベルで問題があったとすれば、事故前の停車駅で40mオーバーランした車掌をその時点で問題アリとして交代させなかったことじゃないか。「最新鋭のATSがあれば」ってコスト度外視な悔やみ方よりよっぽど現実味があると思うけど。遅れたら遅らせた運転士から罰金をとるとか、そんなものは無事電車が走ってから考えればいいことであって、交通の要を握る企業は「どうすれば確実に客を届けることができるか」という命題をみつめ続けている必要がある。確実に、というからには安全だけでなく定時性というのも重要なファクターになるわけで、そこを攻め始めると現在の社会はなりたたないでしょ。
じゃあそんな社会は崩してしまえってのが最近ウチの大学でデカイ面してビラを配ってる中核派の議論なんですが。労働者によって社会の主導権が握られたからそこら辺が改善されるというプロセスがスポーンと抜けてるからなぁ。サヨクさん達は言いたいことだけ言ってればいいから気楽に運動してて楽しそうですね☆お前らもハイエナだから社会から退場してイイよ。
あ、でも40mのオーバーランを8mだと最初に言ったり、遺族に対する心遣いを見せる前に全て「置石」のせいにしてみようとしたりってのは×。これはもう企業のモラル的にダメ。インフラ系企業は結局のところ「ウチがなけりゃ困るでしょ?」という殿様商売なところがあるから、いい加減自分たちが客商売だと自覚しろと。まぁ実際問題、海外に比べれば日本の鉄道員は随分親切だと思いますけどね…。
JRは似たような事故再発を防ぐためにどういった方針を打ち出せるのか。利益返上で最新鋭のATSを数年以内に完全配備するもよし。ゆりかもめや新幹線と同じように、オートや遠隔で車両がコントロール可能なシステムを全体に組み込むもよし。車掌をツーマンセルで組ませるのも有効だろう。なんにせよ、仮にでもいいから目に見える形で動きがないと信用の失墜は取り戻せない。
信用が失墜しても利用者は使わざるを得ないって状況があるからこそロクに反省しないんだけどね…。