一昨日

KeiKomoriとうずまきたろうとチャットでなぜか宗教トークに。真っ向から神を信じない人間と、クリスチャンと、一定の役割を与えて容認派が喋るってのも面白いものでした。が、ディベモードが入ってちょっとやり過ぎた気が。改めてディベートはコミュニケーションツールにならんなぁと思いました。敵〜100人できるかな♪
で、
( ´皿`)神なんぞいるかヴォケ!
と公言していたらKeiKomoriにはプラグマティズムと呼ばれ、うずまきには唯物論者と呼ばれた。この手の用語はどうも苦手なので、wikiにお世話になりながらお勉強。プラグマってのは「有用性がある=正しい」という考え方だそうで、「神が役に立つ=神は居ることの証明」という論法になるのかな。唯物論はとりあえず非物質的な存在と現象を全否定する立場、みたいな。おおざっぱ〜、されどこの手の用語は突き詰めて定義したら負けだという気がするので問題なし。
はて、じゃあ自分がそれらに当てはまるかといえば違うなぁという感じ。どのくらい違う感じかといえば「すれ違うときに会釈はするけど言葉は交わさないし、肩を組んで飲むこともできない」。友人と、赤の他人以上知人未満との違いくらい違う。
じゃあ自分はそういった言葉で表すとどんなもんになるのかな〜と思いつつ、全然関係ないところでジョジョを読み返していたらたまたまクリーンヒット。

ノミっているよなあ…………ちっぽけな虫けらのノミじゃよ!
あの虫は我我巨大で頭のいい人間にところかまわず攻撃を仕掛けて戦いを挑んでくるなあ!
巨大な敵に立ち向かうノミ…………これは『勇気』と呼べるだろうかねェ

ノミどものは「勇気」とは呼べんなあ

それではジョジョ!「勇気」とはいったい何か!?
「勇気」とは「怖さ」を知ることッ!「恐怖」を我が物とすることじゃあッ!

呼吸を乱すのは「恐怖」!
だが「恐怖」を支配した時!

呼吸は規則正しくみだれないッ!
波紋法の呼吸は「勇気」の産物!!

人間賛歌は「勇気」の賛歌ッ!!人間のすばらしさは勇気のすばらしさ!!
いくら強くてもこいつら屍生人は「勇気」を知らん!ノミと同類よォーッ!!

by ウィル・A・ツェペリ男爵
人間賛歌!
これだこれ。ノミとか勇気とかはとりあえずおいておいて、「『神』なんてわけのわからんもんはすっこんでろ!」というのが極めて自分の立ち位置に近いのだと確認。そして、ふと思い出してプラネテスのページを繰ってみる。

そうやって独りで意地を張りつづけるかぎり不安と後悔が夜通しお前を苛むんだ
なぜ助けを求めない?人間は孤独に弱い生物なんだぞ
かたくなになるなよ皆やってるじゃないか
苦しみはわかちあうもんだ
たとえお前の喜びが他人と分かちあえない性質のものであってもな

という自分の心の声に対して主人公・ハチは

全部オレノのもんだ
孤独も 苦痛も 不安も 後悔も
もったいなくてタナベなんかにやれるかってんだよ
オレ1人で十分だ

と応じる。これを初めて見たときにその傲慢さに驚きつつもなんとなくニヤリとしたのはそういうことなのだと1人得心。ちょっと違うけど、人生が面白いのは愉しみ・喜びがあるからと同時に悲しみ・絶望・恐怖があるから。都合のいいときに物理的な干渉をしてくれない神なんぞにその面白さの1%も分け与えてやるかよ!