ゼミゼミしい

最近すっかり資本主義の先兵となりつつある。
ゼミで輪読してる洋書が「近代資本主義の作り方♪」

みたいな本だから感化されてるだけなんですが。
日本の資本主義と産業の形成過程が終わり、セブンイレブンのケースが終わり、今度は資本主義の総本山イギリスの概略が終わったところ。来週とその次の週でロールスロイスのケースを終わらせ、後にドイツに突っ込む予定。ドイツに入った途端挫折しそうな匂いがプンプン。単語レベルで読めないのが出てくること間違いない…。
でまぁ、イギリスの話のときに「近代的な産業が形成されたおかげで都市には様々な社会問題が鬱積しマルクスエンゲルスはそれに感化され〜」みたいなくだりがある。もちろんこの「様々な社会問題」は工場法の成立やら労働党の躍進やらケインズ大先生の怪しい理論によって段階的に解決されていくんだけど、激変の過渡期の煽りは相当なもので資本主義の総本山の国民でさえ「市場の原理」に対して一抹の不安を覚えてしまう。
1688年の名誉革命から冷戦で「西側諸国の2番手」という位置に落とされ、日本の躍進により世界の工場としての立場も胡散霧消するまでは確かにパックスブリタニカ!を謳歌してたんだよなぁ。世界で初めて産業革命を始めたからこその問題も抱えたけど、確かに世界のパイオニアだった。現在でも金融、化学、サービス業に関して言えば世界有数だし。
でまぁそんな話しをしてるときにゼミでは社会主義に関して脱線。

「二十歳までに共産主義にかぶれない者は情熱が足りないが、二十歳を過ぎて共産主義にかぶれている者は知能が足りない」(チャーチル

なんて話が出たり、教官が学生時代に「君も一緒にビラをまかないか!」と誘われた際に「市場の原理によって資本主義が社会主義に発展していくならビラを撒いても撒かなくても一緒だろ」と切り捨ててたり。
高校時代、社会主義を勉強したときは世にも素晴らしい社会だと思ったことがあったなぁ…。結局「…働かない奴の分までなんで自分が働かなきゃいけないんだろう。てゆーか沢山働くからその分報酬を寄越せ。」という考えが形成されるとともに社会主義熱は自分の中から消えていくんだけど。
「需給の変動を完全に予測できて…」なんてのは産業自体が単純な世界でしか成立しないよなぁ、としみじみと思う。この辺に経済学者と商学者がどうしても仲良くなれないって根本がある気がする。