従兄弟の息子

もう二ヶ月くらい前のことだけど、従兄弟に息子が産まれた。で、一昨日の新年会で初対面。うわ、ふてぶてしいくらい従兄弟嫁に似てる!しかし無条件に可愛い。
乳児って凄いなぁと思った。これ、多分血の繋がり云々ではなく可愛いもんなんだろうな。アイツらすげーよ。ノックアウトですよ。来年まできっと会わないけど、来年会った頃には捕まり立ちなりハイハイなりして周囲を沸かせるんだろうな。「おっちゃんお年玉クレ」って言うまであと4年はかかるんだろうな。なんて甥っ子・姪っ子が居ない身は妄想したのでした。まぁ他人の子供だし、日常的に会うわけじゃないからそんなんなんだろうけど。
( ´д`)すげー、ちっせーなんだこれ  (゜∀゜)ばぶー
  ( ´д`)おそるおそるにじり寄り  (゜д゜ )じー
  ( ゜д゜)じー           (゜д゜ )じー
 Σ( ´д`)はっ           (´゜д゜`)ぐずり
(´д`)すごすご撤退         (゜д゜ )じー
こんな感じのエンカウントでした。乳児怖い乳児怖い。身近に居たことがないからどう絡めばいいのかわからないね。なんかこう「いないいないばー」をやるには思い切りが足らず。うろうろしてたら親戚にからかわれました。従兄弟曰くも「やー、俺もまだよくわかんねーや」なんて言ってたけど目がパパになってたし。従兄弟嫁の方はすっかり貫禄がついてる感じでしたけど。月並みだけど母は強いのかね。
勇気を出して接近して、布越しに手をにぎるくらいはできましたよ!
そして思ったんだけどー、乳児って絶っっっ対に「何か」見えてる。確信した。なんで目の前に人が居るのに、その斜め上の天上を凝視するの??1階に行くと一昨年の暮れに亡くなったばーちゃんの部屋の方ばかり見てるし(現在物置)。つーか絶対居るだろばーちゃん。まぁ惜しくも会えなかった曾孫っ子を見守ってやってくださいな。
対して従兄弟の父、すなわちmokuの叔父がやたらと「じーさま」な雰囲気になってたのが気になるところ。アホみたいにアルコール入れてもしゃっきりしてたクセに、今年はやたらと弱かった。それに、酔ったからってあんな湿っぽくなる人じゃなかったんだけどなー。叔母も「好々婆」になってるし。そういふものなのですかね。ま、年々叔父、叔母たちは明らかに老けていってるわけで。年に一回しか会わないからこその変化なんだろうけど、時間が流れるってことに付随することが全部「いいこと」とはいかないんですよね。数年前まではぎゅうぎゅう詰めだった新年会も、ここ2年はやたらと場所に余裕があります。嘆息。とはいえ、空いたスペースは埋めていかないとね…。

時間といふもの

いま、この時期だから思うのかもしれないけど、物理的に「どうにもできないもの」とご縁の関係で「どうにもできないもの」ってのは人生の最大の制約だろう。物理的に「どうにもできない」筆頭は時間。誰がどうもがいたって、現代文明の中で生きている限り1年は365日で1日は24時間で1時間は60分で1分は60秒。つまるところ、1年は36153600秒で80年生きたとしても2522880000秒しか持ち時間は無い。これは生まれながらの大富豪もスラムで育った貧乏人も等しく受ける制約。カチリと秒針が動いたら持ち時間は1単位減るわけですよ。んじゃ、なにができるか。mortalである限り、当たり前だけど、時間の絶対量を増やすことはできない。けど相対的に使う量を増やすことはできるんじゃないか。使う量が増えれば幸せだとか言うんじゃなくて、有限な資源をどう使うかの決定は自分の手にあるってことかな。
どうしても「今やってるAを減らしてBを増やそう」とかってなりがちだけど、必ずしも何かを減らして何かを増やす必要は無い。ただ自分の時間の配分には常に敏感であるべきだと思う。それは有限なモノなのだから。で、何かを減らして何かを増やす必要が必ずしも無いってのは、そういうコトを考える前に資源の使用状況を確認すべきだろうということ。凄く商学部っぽい発想だけど「そのパイは本当に最大?」(なんて話を以前したら「いや、円の面積を広げるには半径を伸ばさないといけないだろう。パイは定数」と言われた。ごもっともデス…。)と言い換えられるだろうか。
100%使える資源というものは、まず存在しない。ナニ使ったって無駄は出る。(火力発電の効率だって頑張っても60%くらいだったかな。もっと低かった気がする)でも、効率を上げれば80%まで使える資源を仮に60%しか使えていない可能性はないだろうか。
その資源を3つの要素で綺麗に3分割すると20%eachになる。この使用率のままもう一個要素が増えれば4分割されて15%each。そうなると結局、それまでの3要素は新たな要素に5%ずつ食われたことになる。市場争いだろうが生き方だろうが、こーゆー消極的なアプローチはよろしくないと思うのですよ。いや、個人的には。その60%しか使えていない資源を80%使うようになれば、要素が増えても割合は変わらないでしょう(まぁ、その4つ目の要素が入らなければ3要素で27%弱ずつ使えた、という言い方もできるけども)。経営の話しをするときの「パイを広げる」(100億円の市場をどうやったら150億に広げるか!って感じのこと)ってのとはズレがあるけど、考える視点は大差無いと思う。在るものをどう使うか、ではなく、在るものは本当に最大なのか?ってゆー。win-loseじゃなくてwin-winって観点はやっぱり好きだな。
…えーと、そんでなんだっけ。ああ、そうそう。で、物理的にはどうしようもない資源かもしれないけど、幸いなことにその配分を左右する手綱は一人一人の手にある。何かを望まないならば手綱を放せばいいし、多く望む者は強く握らなければならない。馬に乗るときだって、歩かせるだけなら跨ってればいいけど走るとなると色々工夫するやん。そういう業なんだよ。最初から上手く走ることができる人もいれば、ボコボコ振り落とされる人もいるけど。それだけじゃないか。個人的にはそれを含めて生きるってことが好き、なのかな。人生って難しい。