あーしもうた

一日空けてしまった…一度空けるとクセになるんだよなぁ。

さて今日は英語ディベートを観戦してきました。
うーん。ぅーん…。まぁジャッジど勝敗の判断が違うのはいつものことなので(ディベーターとジャッジだと見る目が違うし)キニシナイ。なんであれで勝つんだろうなーと思っても、大抵の場合は選手の方がうっかり見逃してる論点をジャッジが綺麗に議論として残してたりするので。ただ、ディベーターとしてのモラルってのがやっぱり気になるのでした。表面的な話をすれば、いくら相方とはいえ人のスピーチ中に口頭でアドバイスをするってのは、やっぱりナシだと思うんですよね(英語ディベート中に日本語で行われた発言は全て無かったことになるからOK、っていう理屈らしいんですが)。あと相手からの質疑に応答している途中に飲み物飲むとか。そういうところはズサンなくせに服だけはスーツを着ろとかってのは、単なる形式主義なんじゃないかと思うのでした。反対にスーツを着てないジャッジはそんなに偉いのかと…。まぁそんなところは枝葉末節なので個人レベルのモラルで修正されていけばいいと思うんですが。
気になったのは議論のモラル。今から述べるのはあくまで悪い一例ですが、実際にあったことです。ディベートをする前準備として、論題に使われた英単語のdefinitionを検討するという作業があります。延々と巨大な辞書群から使われている英単語をピックアップしていくんです。まぁ、我々にとっては英語が母国語でないからこそ、辞書を引いて出てきたdefinitionを尊重しなければいけないってのはわからなくもありません。でも、日本語の論題で「正規労働者」ってされているものが「full-time worker」と英語ではなっているんですが、ご存知のようにフルタイムとは同時にサッカー用語。もちろん辞書にも「full-time:used in soccer game〜」というような意味で掲載されています。だからといって「サッカー場で働く労働者対象に育児休暇を〜」と解釈し、より有益な議論に時間を割く余地を相手に与えず潰しにかかるのは愚行以外のなにものでもないと思うんですよね。てゆーかそんなディベート見てても面白くないし。そこらへん、もうすこし自分の行うスピーチ内容に美学をもって欲しいと切に願うのでした。試合に勝てても、一歩会場の外に出たらそんな言葉遊びに耳を貸す人は稀ですよね。