ジンギスカーン

とうとうジンギスカンキャラメルを生徒に配布。悶絶する者あり、美味しいといって食べる者あり。まぁ面白がってもらえたので、買ってった身としては喜ばしいことです。ついでにビールキャラメルと北の誉キャラメルも配布。というか、キャラメル3箱(18粒×3)も一人で消化できません。誰もお腹を壊してませんように…。

ところでバイトの話になってしまいますが、最近自分が国語を教えているということに自信がもてません。むしろ倫理とか政経っぽいです。民主主義を、そもそも日本と欧米が民主主義になるまでの過程を比較しながら説明してみたり。「ニヒル存在論的認識」を単語レベルで分解して説明し、さらにはその対となる考え方を伝えようとしてみたり。てゆーか中学2年生にこんな文章精読できるわけがありません。「ニヒル」に注釈がついていたのはいいんですが「虚無的」って説明書かれても…確かに説明になってるけど、それだったらニヒルを辞書で引かせて、虚無に行き着くほうが順序として正しい気がします。結局老子の思想まで立ち入りましたとも。

「全校生徒が700人います。あなた1人がいなくなって、翌日からなにか問題はありますか?じゃあ10万人の社員がいる会社に入社しました。新入社員のあなた1人がいなくなって、翌日からなにか問題はありますか?じゃあ地球全体で65億人の人間がいます。あなた1人がいなくなって、翌日からなにか問題はありますか?」こういう問いかけは新鮮だったみたいです。この程度の話でそれこそニヒルな考えに傾倒しなければいいんですが、どっかで考えておかないと反動が怖いですから感受性の高いうちに放り投げておきます。本文が:現代の社会経済システムの中では1人の人間の存在が極めて薄っぺらで、統計上の「1」という数字としてしか認識されておらず、個人の人間性は全て捨象されているって話だったんです。まぁここでは終わらず、だからこそ「個人には個人らしさを保ち続け、それを主張する権利がある。それを思い出させてくれる一編の詩はある人間にとって救いたり得るし、そうなれるならばその詩にもその作者にも意義がある」と続くんですが。

自分が中2だったころ、こんなこと考えていたかなぁと思い返すとイマイチ断言はできませんが、でも結構こういう脳内完結思考は好きだった気がします。自殺について考えていたのがキッカケだったんだろうなぁ。