ぐあ

電車が止まった…荻窪で人身事故だそうで。ダイブしたいって言うなら止めないから、どうぞ迷惑のかからないところでやってください(…こういうこと書くと遺族の方に怒られそうですが)。ところで日本が年間、人身事故によって受けてる経済的損失っていくらなんでしょうね。よく「山手線を止めると○○億円の賠償金を請求される」とか噂で聞きますけど、あの数字の根拠は振り替え輸送のためにかかる費用なんでしょうね。となると、結局マイナスを受けるJRとプラスを受けるバス・タクシー会社とで経済的にはトレードオフされますね。実はニュースで流れる「経済効果」って大半がこんなもんなんでしょうね(今度発行される新札の経済効果も極めて限定的な業種が潤って、それらを発注する業種が損をするわけだし。ATMの仕様変更だけで一台30万円くらいだそうです)。それでも経済って大きくなったりするわけだから不思議。あ、救出作業してるってアナウンスしてるってことは生きてるのかな…。

悪い時には悪いことしか続かないということを実感している今日この頃。財布落としました。多分身に着けてるものでは唯一のブランド品です。今週の月曜にPORTERの黒財布を拾ったor盗んだ、って人は、中の現金はさしあげますから、とりあえずキャッシュカードを中に入れたまま警察に届けてください。いえ、キャッシュカードの中身はいいんですが、名前確認できるものが他に入ってませんからこちらへの連絡が遅くなります。そういう不都合解消のため。だいたい学生のキャッシュカードにろくな金が入ってるわけもないし、暗証番号がわかんないんだから取る理由無いですよね(間違え続けると失効するし)。

いままでの文脈から、この文章が電車内で書かれていることは察していただいていると思いますが、電車内で小林よしのり戦争論を呼んでいる女性が正面に座ってます。いや、いいとか悪いとかじゃなくて。近年の小林よしのりの漫画は基本的に読んでて疲れるので、電車内じゃ俺は読めません。おぼっちゃま君を書いてた人とは思えない程力強い調子だもんなぁ。文字もやたらと多いし。好きなんですけど、基本的にアジが多いので内容は七分程度にしか受け取りませんけど。
脱線気味になりますが、歴史論争を中国の留学生としないのは単に同じ土俵に立って話せないだろうな、と思うからです(そして電車内には現場検証のアナウンスが)。時間の流れがあくまで不可逆的であり、人間が結局はそれぞれの正義を掲げて行動している以上、50年前の問題で「あれがいけない、これがいけない。だから謝罪と賠償をしろ」ってゆーのは明らかに非建設的だと思うのは私だけでしょうか。とりあえず謝罪と賠償に関しては戦後の国際条約で完全に解消されているので黙れ、と。「それでも私個人の苦痛に対しては謝罪も賠償もなかった」って言われても国家同士の喧嘩に巻き込まれたからって謝罪と賠償が個人個人にたいして行われるわけがないでしょうに…。ある日本人が「うちの旦那は嫌がっていたのに無理やり戦地に赴いて、中国人に殺された。謝罪と賠償をしろ」って言ったら対応してくれるんですかね。個人レベルで考えたらキリが無いから国家が代理執行してるんです。嫌なら中国人って肩書きもなにもかも捨てて、物的証拠を揃えて、個人として、自分を苦しめた個人を訴えに来てください。
人間の歴史を有史以前から現在に至るまで暴力抜きで語ることはできません。それ自体が陰惨なもののように語り、二言目には「人間には他の動物と違い理性があるんだから争いは回避できるはずだ」って言う人がいます。が、理性に裏打ちされた暴力であるほど陰惨悲惨なものになるのは近代のユダヤ人虐殺、レーニンによる大粛清から中世の十字軍まで、枚挙に暇がありません。むしろ理由をつけて同族を殺せる人間の方が本能のままに生きる動物よりもよっぽど性質が悪いと言えるのではないでしょうかね。歴史を学ぶ意義ってのはそういう陰惨な事実の細かい部分の是非について論じたり、現在の価値観や時勢をベースにしてその是非を論じるのではなくて、大筋で「事実」と認められたことについて自分で考え、それが果たして正しいか正しくないかを議論していくプロセスにあるのではないかと思います。人間は唯一「史」を残す動物。それから学び取るものがなければ歩みを後世に残してくれた先人に対して失礼というものです。…なんか戦争論を読んでいる人の観察コメントからずいぶんと大仰な話に発展しまいました。いつのまにか電車も動いてて現在中野。