百年の恋から醒める

とはよくつかわれる表現だが一体全体醒めるとどうなるんだろう。その後の人生が、というより、それまでの人生が。つまり、その百年の恋の最中は、主観的には甘美極まりないものであったに違いない。デレデレに溶けている人間、という漫画表現がピッタリと当てはまる時間だろう。
さて、溶けきった人間がハタと目醒め振り替えるとナニが眼前に広がるのか。もちろんその答えは様々だろうが、多くの場合はあまり引きずらず逆に心に一つの区切りが生まれるのではないだろうか。裏付けは特に無いが、そんな気がする。に注目してみたい。「醒める」というからには、その理由や醒め方は内因的・自発的なものなのだろう。自分からその「恋」の対象に欠点なり、不満なりを見つけて、自分から終わらせた(醒めた)ものなのだから表面的であっても整理がついているはずである。ちなみに正しくはもちろん「百年の恋も『冷める』」である。まぁ別に色恋沙汰でなくても、一般的なイメージがもたれているものってのは切り口をちょっと変えてみる必要があるかもしれないというオハナシ。