あまりにヒマな講義

英語で10分で話したことを再度日本語で10分かけて要約。
しなくていいからさっさと話進めろ…。
「この英語が本当に周りはわからんのだろうか…」なんてことを考えてたらふと再考。そういえば中国行って、久々に「本当に周りがナニを言ってるかわからない」っていう感触を久々に味わってきたんだった。
悪夢再び。
物心つくまえから居たくせに、在米8年目にしても全く英語に馴染めずかなりのストレスを感じてたあの頃を思い出した。あの頃の自分を振り返ると、よくもまぁグレずにここまで育ったもんだとしみじみ思います。近所のおてんばなユダヤ系の女の子が英語喋れない日本人に興味もってしょっちゅう絡んでこなかったら、未だにあの10年は自分の中で失われただけのものになっていたんだろうな。縁って大事だわぁ…。まぁおかげで言葉の壁に対するストレス耐性は異常なまでについてると思いますけど。
経験則ですが、言語の壁ってのは「伝えたい内容」があって「伝えたい相手」がいるからこそ乗り越えられる(もしくは伝えるのではなく吸収するってケースもあるだろうけど)。1つの言葉を早くマスターしたいなら、まずはそれらを見つけること。だから「英語喋れるようになるにはどうすりゃいいんだ?」って聞いてくる相手には基本的に「長期間、誰かの助けを借りずに英語圏行け」と答えるようにしてます。最低1年。とにかく壁に触れて、それを観ること。乗り越えなきゃいけない状況を自分で作ってもそれを乗り越える意欲が沸かないなら御縁がないってことじゃないかな。語学留学って考え方はあまり好きじゃなく、行くなら最低でも日常会話に困らない程度で行って、講義を聴くなり現地の人間と体当たりで喋る方が絶対にいい。
閑話休題
えーと…ああそうそう、どんなにゆっくり言われても中国語はやっぱりわからなかったのと同様に、どんなに講師がゆっくり喋ってもわからん英語はやっぱりわからんのだろうな、と勝手に納得したってだけですたい。