4日目

瀋陽故宮

朝からバスを使って瀋陽故宮へ。
バスは急ブレーキのオンパレードで大変乗り心地が悪いです。これなら通勤ラッシュの中央線とか山の手線の方がストレス少ないよ…。

清の太祖ヌルハチ、太宗ホンタイジによって大まかに作られ後に乾隆帝とか順治帝が付け加えた王宮。北京の紫禁城及び故宮博物館のミニチュアというと現地の人たちは怒るんだろうケド、あくまでイメージとしては間違ってません。ただ、北京の方が完全に漢民族文化に合わせた様式なのに対して、こちらは過渡期に作られた宮廷なのでモンゴルと満民族の文化がかなり強く出てて、漢民族の文化はたまに顔を出す程度。それは建築様式もそうだし根本的な建築思想だとか装飾なんてとこにもそれは強く現れている。壮麗・優美というよりは質実剛健・実用重視。
ヌルハチの作った執務所なんてチベットとモンゴルと満と漢の様式がゴチャ混ぜで、異民族としての満民族が多数の民族を統治するのにかなり苦労したんだろうなぁということをうかがわせます。(てっぺんにはチベット系の装飾、頂上に近いところにモンゴルの神、龍は漢民族などなど)

張さんのツテで可愛いガイドさんもついてくれたし、かなり濃厚に見て回りました。残念ながらガイドさんの言うことは一言も理解できないのでかなり張さんに頑張ってもらってたんですが、張さんは張さんでガイドさんが随分と気に入ってしまったようで…。
まぁとにかく一見の価値はあります。英語で一通りの説明はついているのでガイド無しでもなんとか見てまわれるでしょう。問題は英語表記になったとたん日本人には馴染みの無い単語の羅列になるんだよなぁ…ヌルハチとかホンタイジとか、英語になると判別が困難。なのでハナから詳しく説明のついているガイドブックを用意して予習していくことが一番のオススメ。教科書で読んだことのある八旗軍の駐屯地みたいなのもあるし、康熙帝とかの生誕の地も見れます。後金から清へと変わっていく過程もなんとな〜く感じられて面白い。
ホンタイジ後宮(正妻の建物。この両側に3棟ずつ並んでて、後宮には15人。正妻と4番目の妾までは個室。あとは5人ずつが1棟っていう風になってる。当時「ホンタイジの部屋」ってのは存在せず、夜寝るときは気に入ったところへと寝に行くシステムだったらしい。ちなみに一番寵愛を受けてたのは第一妾)

鳳凰楼(当時最も高い建物で地平線から朝日が昇るのを観れたらしい。ホンタイジと正妻および妾4人が毎朝ここで一堂に会したそうです。ヤな朝だな)

乾隆帝が書いた四庫全書を納めるためだけの書庫

イスラム

昼になったのでガイドさんにお礼を言ってタクシーで回族が多く暮らす地区へ。イスラム系の料理が目当て。羊肉のスープ、牛肉塊を炒めたもの、ナスのとろみがかった炒め物、そして肉まん(多分牛肉)。美味なので一度はおためしあれ。イスラム系の食堂は小さいものであっても中国系のものに比べれば衛生的には安心みたいです。といっても日本じゃなかなか見られないレベルなので、汚い店が駄目だって人は大人しく大きなレストランに行きましょう。トイレはあっても手を洗うところがないとか素敵仕様でした(たまたま?)。ただ現地の一般庶民(って表現もなんだけど、明らかに張さん家はわりと高水準なので)がお客としているので雰囲気も感じられます。こっち来て以来、日本じゃ食べられないだろうなぁ、という食ばかり。ちなみにこんだけ食べて1人20元くらい(280円)。

繁華街

張さんがスーツの仕立てるというので、それをチェックしにいくために再びタクシーに乗る。ちなみにタクシーは4kmまで7元、以降㌔毎に1元追加。バスが市内ならいくら乗っても1元なので、それに比べれば確かに高いけど、日本人観光客にとっては比較的使いやすい乗り物でしょう。…行き先さえ示せれば(驚いたことに中国でバスは一回1元なんですが学生だと定期が月10元。お年よりもたしか同条件)。
日本のデパートと大差ない建物で張さんがスーツのフィッティングするのを横でぼーっと。することないしー。
スーツの用事が終わったので繁華街をブラブラ歩きながらなんか色々喋って、朝来た故宮へ舞い戻り。

張学良の家

スーツの用事が終わったので繁華街をブラブラ歩きながらなんか色々喋って、朝来た故宮へ舞い戻り。そっから張作霖と張学良の家まで歩き、中を見学。爆殺した側の人間がまじまじと彼らの生涯を眺めるのもなかなか妙な気分。張学良は特に東北と台湾では英雄扱いされていて、かなりの見学者が来てます。そういえば西安事件とか習ったよなぁと思いつつ張さんに熱く説明書きの説明をしてもらう。抗日とか日帝とかいう文字があるとやっぱりちょっとドキっとするもんです。あそこで張作霖を爆殺しなければ歴史も変わったんじゃないかなぁとか思ってみたり。


散歩

そこから4kmくらい歩いて帰宅。まだまだ張さんの誘導ナシでは道路を横断できません。横断者用の信号が青でも平気で車は突っ込んでくるし、酷い場合は赤信号無視上等。交通法規くらいは守ろうよ…。

日本と中国の近代史にとって重要な意味を持つ跡を見た後だからか、歴史認識の話とかにもなったり。とりあえず何が事実だったのかということをどうにかしてハッキリさせないと話は始まらんよなぁ。客観的な証拠が挙がらない以上、それはなかったことになる。一方、証拠の挙がらない事実というものも存在するという観点も確かにありうる。ただ「あったという前提で話を始める」と「なかった」という証明を反論側は求められてしまう。通常それは困難なので(信じられない人は実際に試してみればいい)、「あった」ということを証明することを求められる。これはなにかを証明するときの基本。ただ精緻な記録というもの自体が確立したのが近年で、戦中のグレー部分は解釈次第で白になったり黒になったりするってとこなんだよなぁ。
一国のものである限り解釈ナシの歴史というのはあり得ない、というのは高校の世界史教師が言っていたと思うけど、それでも可能な限り解釈を抜いた「歴史」は作らないと。ニュータイプに頼る前に、人間の手で出来ることはやらないとアクシズが落ちてくる段になって後悔するさね。
そんな話をしつつ帰宅(いえ、NTとかアクシズは違います)。この旅初の張家での食事。普通に美味しく頂く。東北地方の地酒、白酒(バイチュ)もいただく。焼酎より甘く、香りが強い。度数的には56度だったかな。OBが合宿に持ってきてくれた中国酒に似てるけど、ややまろやか。とか思いながら2杯、3杯と飲んでたら実は結婚記念白酒だったことが判明。20年もの。
マジッスカ �堯払奸  �
そんな大切なのを突発でやってきた外国人に…。他にもチンタオビールを空けました。
飯後、張さんが海賊版保有しているコンスタンチンを鑑賞。うーん、ハリウッドB級の極み。見所は一番最初の物憑少女と終盤に出てくるサタンのおっちゃんか。そして、なぜか異国の地にきて久々にwar craft 3を触り、ボロ負け。帰国したらまた少し触ろうかな。あーでもレポートとかゼミの要約とかバイトの予習とかたまりまくってる…このまま帰りたくないかも。
風呂→就寝。