梅雨空なみにどんよりゼミ

お天気と同じくらいどんよりな気分で行くのでした。

いやまぁゼミ好きなんですけどね。

主に先生とのバトルが。

若いってのもあって、あっさり自分の間違いを認めたり
「あーそれはたしかにねー」
とか
「あ、それは知らなかったー」
とか
正直におっしゃる親分は結構好き。

…まぁ、間違えを認めつつ返す刀でバッサリとヤラレマスケド。


今日の話はチャンドラーの第一次世界大戦までの企業結合総決算。

・企業家の役割はたいしたことがない
・資本市場の役割はたいしたことがない
・公的セクターの役割はたいしたことがない
・シャーマン法は関係ない

「大企業になれるかどうかは産業特性と市場が左右する!!」

うわー言い切りやがったこのジジイ!


てな感じで紛糾。
いや紛糾はしてませんけど。

ただやっぱりゼミテンの多くがひっかかったのは

・企業家の役割はたいしたことがない

ってとこみたいで。
チャンドラー、こんなこといいながら

・原料から最終消費までを一気通貫カーネギー(石油)
冷凍車を考え付いて食肉加工から配送までの改革を成し遂げたスイフト(食肉)
・工場の配置だとか集中管理を考えたロックフェラー(鉄鋼)
・ボンザックの機械を大量に動員して、広告戦略と併せて市場を席巻したデューク(タバコ)

などなど、めっさ企業家に焦点あててるんだよねー。
そこらへんがどうにも皆得心いかず。

石油王が本当にカーネギーじゃなくてカーネギーの隣にいた(?)ジョンでありえたのだろうかとか、考え始めるとキリが無い。

多分カーネギーだったからあのタイミングで可能だったけど、あの産業特性で市場があれば、カーネギーのお隣のジョン(?)でもそのうち大企業は作れたんじゃないかって話になるのかと思ったり。
だから、チャンドラーと視点がそもそも違うのかもしれない、でも違うから別にチャンドラーもこの話は納得してくれるんじゃないか、と親分に述べてみる。

親分ニヤリ。

「そこらへんは全く検証可能性が無くて、アカデミックな世界から延々と遠ざかるばかりだからそういう話はせんのだ。英雄譚を大量に集めてきても(実際チャンドラー自身、シュンペーターの下でそういう研究をやっていて嫌気が差したらしい)体系的な何かは出てこない。経営は確かにアートとサイエンスによるものだけど、アートによる説明はあくまでも伝家の宝刀。伝家の宝刀はサイエンスで周りを固めて説明因子が他に無くなってから初めて抜くものだ!」
この馬鹿阿呆間抜け!(←この辺は被害妄想)

…返す言葉もございません。

とはいいつつも
「まぁ経済学じゃないんだからアートの話もあっていいんだけどね」

と。
経営の人々はだいたい経済学系の人が嫌いですw
かく言う自分もそうだからなんとも言えないんだけど。
「均衡するじゃん!」
とか
「最適じゃん!」
とか
言われてもいまいちピンとこない。
経済学入門の時点で破門されてるし。

でも嫌いだからといって、そういう純粋にサイエンスに近いところを素っ飛ばすと寝言を言う商学部になっちゃうな、とも改めて思った。コテコテにやる必要は無いけど、世にどういう切り口が存在するかくらいは知っておいた方がいいんだろうな。
全くもって学習意欲が沸かないが。

あともう一個考えさせられたのは
アントレプレナーシップ(日本語では起業家精神などと訳される)が「企業家職能」足りえるか。
企業がある状況に直面したときに「企業家という役割を担っている人がどういう行動をとるべきか」ということを説明できるようになれば確かにカーネギーでもスイフトでも量産できる気がするけど、それって本当に可能なのか。

本田宗一郎とか岩崎弥太郎が量産可能になるか否かって話。
それってどこまで突き詰めても
「このタイミングでありがたい訓示を残しなさい」
「ここで社員を感動させなさい」
「有能な副官を見つけてきなさい。その人が満たすべき要件は…」
レベルから具体化しない気がしてならないんだけど。

でも確かにハーバードでも、今は一橋でもそういう研究ってなされてるんだよねぇ。どこに落とし込むんだろう。不可思議。