世界の半分は善意で動く

もしかするともうちょっと多いかも。

と、日々思いながら生きているのですが。

具体的に言うと。
「あー、ここは基本的にはAなんだけど次にコレに関わる人のこと考えるとBにしといた方がいいんだろうなぁ」
こんな感じの積み重ねで世の中えっちらおっちら動いてる。

…気がする。

なんだろう。
そのコトで給料は変わらないけど、ソウした方がクオリティはちょっと上がって、でも別に販売値段は変わらないから得するのはそのちょっとクオリティが上がった何かを手にした人だけで、しかもその得をした人も別に自分が得をしたとは感じない。
そういうの。

個人的に身近な例で言えば、映像の編集をするときに注文を受けていないけれど、用途と視聴者によっては一応タイトルとスタッフロールはつける、みたいな。こう、一歩間違えると余計なお世話になるんだけど、余計なお世話にならない程度の範疇で、それをそうしておくと「ありがとう」の重みがちょっとだけ変わるような。なんかそういうものですよ。

ゲームで言えば、別に頼まれてもソフトリセットコマンドが組み込まれてるとか(主にシミュレーション)。多分仕様的にはなかったんだけど、妙に親切なショートカットキー(アイコン)が設定されてるとか。

「これ、別に頼まれてないけどこうなってた方が便利よね?」

というのが、良識と深い理解によって支えられ、本当に誰にも別に頼まれてないんだけどクリエイターの良心によって備え付けられてるような。

くりえいちぶな仕事の端くれを担ってると、そういうファジーなものがモノ凄く大事なんじゃないかと思う。これを人は職人の魂とか、職人のプライドとか呼んできたんじゃないかなぁ。

まぁでも、それって適正な価格によってのみ支えられるな。
とも思う。

「よーよーあんちゃん、俺のこの腕一本のプライド、幾らで買ってくれるんでぃ!?」の世界。

「べらんめぃ、そんな値段で売れるかよ!こちとらこの道30年だい!おいばーさん、塩撒け塩!」だし

「ぉぅ、あんたのこと気にいった。金なんざいらねぇからもってってくんな!」なのだ。

厳密な原価の計算なんて無く、経営戦略だ、市場調査だ、そういうものが全く通用しない。コストパフォーマンスのコの字も考えなくて、例えばナノ単位の曲面を手の感覚だけで判別できる人間たちがその世界共通の価値観で動く世界。

けっこう、そういうの好きだな。
とも思うし。
そりゃ儲からんわ。
とも思うし。

ただ、何かを作るとか何かを納めるって立場になったら、せめてヒトカケラでもそういった良心の類は持ってないといけないし、それを持っている相手だとわかったら膝を付き合わせるくらいの御縁になるつもりで相手の領域に近づかないといけない。

のだろうなぁ。
と思いつつ、職人芸の粋が篭っているのであろう「FF3forDS」を中古屋に転売し、ヨドバシカメラ町田店で職人の心意気を感じさせる「もぎたてチンクルのばら色ルッピーランド」が売り切れになっているのを見て落胆。はぁ。